延宝6年(1678年)、水戸徳川家2代光圀公が南部藩より馬13頭を取り寄せ、
水戸藩の軍用馬を飼育するために「大能牧場」を開設した徳川家の山です。
その後、9代齊昭公が「新牧」を新たに営み、さらに11代昭武公が隣接する
旧里美村(常陸太田市)の天竜院地区にも牧場を開設しました。
この山林は、齊昭公の7男である徳川幕府15代将軍慶喜公も訪れ、
弟である11代昭武公とともに狩猟を楽しんだ由緒ある土地です。
天竜院地区の樹齢100年を越える林の中ほどに、
明治19年(1886年)に水戸徳川家11代昭武公が建てた山荘があります。
昭武公の兄であった15代将軍慶喜公もここを訪れています。
大能林業HPから
折橋、下滝の少し左が林道入り口ですが現在は封鎖
されてます。
知人が管理してましたが高齢の為・・・今は廃墟=自然に還りました
お願いし2006年11月26日、撮影した貴重な記録です
2、今にも崩れ落ちそうな・・・
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4、京都の宮大工の仕事!?
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8、京都からわざわざ竹を運んだそうです
9、自然の地形を活かした庭園です
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検索してたら・・・このような
<殿 様 が 通 っ た 日>
五月晴れのその日、少年は校長先生の命を受け、「殿様」が通るという横川の精進場で、お湯屋の上の方から来るその姿が見えるのを待っていました。
八騎の馬の列が見えるとすぐに小学校に取って返し、先生に報告しました。授業を中止してすぐに校舎の前に並び、校長先生以下全校生徒が殿様の一行を待っていました。
学校の前の道路は、その日の朝、たけぼうきできれいこ掃除してあり、迎える準備も整っていました。
ほどなくして一行は、学校の前を通過しましたが、ほとんどの生徒は先生の言いつけを守り、下を向いていました。何人か上目使いに行列を盗み見した生徒もあったようです。
今は、この少年も八十才を過ぎる古老となりましたが、天竜院の御殿に一泊して山をおりてきた行列のことを話してくれました。
道沿いに住んでいた人たちは、土下座してこれを迎えたとのことですが、中には、ちらっと顔を上げたところ、奥方さまは、にこっと微笑み返されたそうです。
「殿様」とは、水戸の徳川家十三代当主徳川圀順公のことなのです。森林経営に熱心であった公は、隣の高萩市、大能地区まで家族を連れて来ることがしばしばあったといいます。現在地元では「徳川さん」と呼んでいるとのことです。
この話は、東京から汽車を利用し、高萩駅で下車したあと、大能集落の人たちが用意する馬で天竜院に向かい、一泊したあとは天竜院集落の人たちが折橋宿までお伴したときのものです。
最近、徳川家ゆかりの天竜院近くが指定廃棄物最終処分場候補地と云う
話から「天竜院」での検索が多かったので再アップいたしました。
西山荘との徳川家の庭園コラボを願うのは
tonoだけでしょうか・・・残念です。