常陸の人々は「金と美人は佐竹さんと一緒に秋田へ行った」・・・。
徳川の時代に秋田へ国替えを命じられた戦国大名佐竹氏の菩提寺です
佐竹と武田は共に新羅三郎義光(源義光)の血を引く正真正銘の清和源氏である、彼等から見れば徳川家が源氏と言っても主流からは大分はずれた末端でしかない。源氏直系である佐竹は征夷大将軍になれる家柄である。家康にとっては警戒すべき敵であるが、血筋が由緒正しすぎて滅ぼすわけにもいかない。佐竹氏は関ヶ原の合戦のあと石高も知らされないまま秋田に転封になります。
国換えの理由は一般には東軍に着く意志を明確にしなかったこと・・・
それでも恭順を示したにも関わらず移封になったのは、たとえ味方でも家康にとっては江戸の真上に、これほど強力な財力と武力を持つ外様大名を置いておくことは危険きわまりないことだったからでしょう。佐竹氏の家臣達にとっては戦をしていないのに左遷された悔しさはきっと筆舌に尽くしがたいものだったにちがいない・・・
秋田への国替になった佐竹ですが、鉱山開発意欲は凄まじく、小さな鉱山だった阿仁、院内を全国屈指の鉱山にまで育て上げ、他にもあちらこちらで多くの鉱山を開発しました。また現在秋田市にあたるを出羽久保田藩の商業、林業、町づくりに力を尽くして繁栄させ、佐竹の家は幕府につぶされることもなく、幕末までつづくことになります。
秋田への国替えの際、位牌だけ秋田に移され墓石は佐竹氏ゆかりの当寺に残された・・・
http://www.geocities.jp/omorigold/E7.htmから抜粋
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2、宝篋印塔は、佐竹氏代々の墓塔・・・墓塔の笠の四隅の飾り、突起の直立に近い形。
秋田美人も常陸の国から~?
3、「角館」・・・も?
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5、助さんのお墓です
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7、そう云えば秋田市長さんは・・・佐竹さんだったかな~。
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佐竹寺へと続きます。